男子より女子の方が強い

ゴリラズのel mananaは、デーモン・アルバーンの転機となった一曲だと思う。 この曲からは怨念的なものを感じる。 怨念的な・・人智を超えた何ものか。 東北地方の高校が甲子園で優勝できない。 東北地方の高校が甲子園で優勝するのを阻んでいる怨念的な、人智を超えた何ものか。 IT(インポテンツ)業界に飛び込んで、現場に入ってそろそろ1年。その前の派遣でも、メーカーで理系のエンジニア的な業務に就いていたから、あまり、始めてから1年という感じは、実はそこまでないんだが、「人智を超えた何ものかが「お前はこの道に進むな」と言っているようにしか思えない」ミスというのが、たまにある。今日久々にあった。これは何を意味するのか。 入ってしばらくはそういうのばかりだった。まさに、人智を超えた何ものかが「お前はこの道に進むな」と言っているようにしか思えなかった。しかし、サビ残しまくって、力技ででっちあげて、派遣での6年ほど、ほぼゼロからたたき上げたというプライドだけで、何とか踏みとどまった。我ながら、タフにやったと思う。同僚にも言われた。「ザヴィさんタフですね、他の人なら辞めてる」。「お前は何とかとどまってくれ」という、別方向からの「人智を超えた何ものか」の力を感じたりもした。「人智を超えた何ものかが「お前はこの道に進むな」と言っているようにしか思えない」ミスが、別方向からの、「人智を超えた何ものかが「お前はこの道に進むな」と言っているようにしか思えない」幸運で免れたこともあった。「運次第のIT」って、妙ちきりん以外の何ものでもないが、完全にそう。運の要素がない、理屈で片付けられる世界と思っていたが。派遣時代は、それで乗り切った。 理系は「筋を通せば八割がた大丈夫」とは思った。 「筋が通ってないことは通らないし通さない」の原則だけで、大体大丈夫、というか。 ITは理系なはずなのに筋が通らない世界にいる同僚もいるが、筋が通ってさえいれば、どんな理不尽も受け入れられるし、筋が通ってさえいれば、理不尽を徹底的に飲み込んだことがブレイクスルーに繋がったりする。 高校時代、数学の成績は惨憺たるものだったが、学習塾時代、数学を教えるのが一番上手いと言われた、派遣の面接でも「根は理科系かもしれない」に「そう思う」と即答された、さらに、就職する前、適職検査で、上位がことごとくエンジニアとか設計とかそういう職種ばかりだった、自分の目に狂いはないと信じたい、そう信じてきたこの1年間だった。 しかし、この仕事を続けていたら家庭は持てない。今も夜勤明け。飯(実質夕飯)を作りながら今この日記を書いている。そりゃそうだ、そのつもりで選んだのだから。婚活は思い切った決断だった。しかし、人智を超えた何ものかが「お前は一生独身でいろ」としか思えない、4年間の婚活の「結果」だった。 親はそれを感じだのか、さかんに「仕事変えたら」と言うようになってきた。業界を挫折しそうなときは、「頑張りなさい」だったのに。そりゃそうだ、魂こめてその道を選んだのだから、それを分かっているのだから、その道を挫折したら、俺がやぶれかぶれになると思ったのだろう、と思う。自分が自分でなくなってしまうような。それは当たりだ。そのつもりだったし。 オアシスのwhateverだ。どう動くか、分からんだろう。思い切って仙台行っちゃうような人だからな、俺は(笑)。自分でも分からん。周りがそれを警戒していたという「念」は感じた。当たりだ。そのつもりだからな。 怨念には怨念でしか対抗できない。 怨念の影響を受けやすい自分は、なるべく、ブラックホール的に、ミニマムに重力を凝縮させるしかない。そこでしか、いかなる怨念にも左右されないのだと。むしろ自分が怨念の塊だと。 人智を超えた何ものかが「お前は一生独身でいろ」と言ってるように感じる「流れ」には、もう一つある。両祖母がなくなり、甥一人では我が家の未来の穴を埋めるのには足りなさすぎる。それを痛感するような、「新たな時代の日々」に、親は狂わんばかりになってきたが、それでもなお、例えば俺が適当な女性を連れてきたら、断固反対する。婚活してたときは、「もう、適当な女性でもいいから」という心境にすらなったのだが、そりゃそうだ、そんなんじゃ動かない。また、家族は「それ」を動かさないだろう。 しかし、この時代、「日本死ね」と言われるまでもなく死ぬこの時代。 やはり、多少強引なことをしなければ動かないだろう。 平成女子は札束でほっぺた叩かないと動かない。 昭和なら、とにかく明るい安村の奥さんみたいな、もっと動く要素はバラエティーに富んであった。この時代でも、稀にそういう例はある。 昭和は過ぎました。 しかし、平成の中にも昭和はある。 しかし、平成の中の昭和に選ばれるのは、よっぽどの幸運がなければならない。 自分がそこまで運がある人間だとは思わない(むしろ派遣契約が終了になったタイミングなんか、婚活的には不運以外の何ものでもなかった) 平成の中の昭和を求めるか。砂金のような存在を探すか。 もしくはワーキングプアだけど、何とか踏ん張って一攫千金ねらって(ギャンブル以外で。ギャンブル大嫌いなので笑)、札束で女子のほっぺたぺちぺち叩くか。 平成の恋愛は、札束かオスの魅力がないとダメだと思う。昭和なら、その二つともなくても、別の要素が決定打となって、家庭を持つことにこぎつけられたのだが。 老後のことを考えないと。 俺が昭和だ、平成になるのは難しいタイプだという気はする。婚活が挫折したのはそれもあると思う。 独身を謳歌しているように見られている、適齢期に結婚できなかった団塊ジュニア。そして、子供の声がうるさいと保育園が建たないこの時代を経た今の幼児が政治家の世代になって、その頃死ぬ間際の世代になってるであろう団塊ジュニア世代を大事にするとは思えない。たぶん、アウシュビッツかシベリア行き・・。 今、遊べるだけに、遊ばないように。それだけで、アウシュビッツかシベリア行きにはならないんじゃないか。地を這いつくばるような今の生活は、そういう意味では、想定に叶っている。そういう日々を糧にするように積み重ねた人間を、アウシュビッツかシベリア行きにはしないんじゃないか。 「人智を超えた何ものかが「お前はこの道に進むな」と言っているようにしか思えない」ミスも、アウシュビッツやシベリア行きを避けるための経験の一つと信じて、頑張りたい。 現時点の時代を痛感するトピックのひとつが「おそ松さん」。通勤途中、おそ松さんのバッチをバッグにべたべた付けてる女子学生を見かけ、おやっと思って、スマホでググったりした。ちょっと前から、「何か、人気なのかな」と思った程度だったが。 平成女子はここまで来たか、と思った。ニートだという設定だとは思わなかった。そして同じ顔が6人。3人子供がいれば奇跡的な子沢山な、少子化バリバリのこのご時世に「六つ子」(「おそ松くん」の時代では、ファンタジーなどでは決してなかった。祖母の代は8人兄弟だったし)。 それがウケるということの意味。札束かオスの魅力を求めるも、限られた人しか得られない、そのオルタナティブ。昔はゴキブリを見るような目で見られていたマンガ・アニメ・ゲームなどのヲタク趣味。今や箱根駅伝のランナーがあんこう踊りを踊るこの現代。「クールジャパン」が肥大化したオルタナティブだという認識はあったが、それが「おそ松さん」というかたちで、今結晶するとは思わなかった。 腐女子という最強コンテンツ(やはり男子より女子の方が強い)。どう転ぶか分からない現代。 しかし、人智を超えた何ものかの「天命」から、我々は逃れられないことを認識しつつ、やはり、40も過ぎ(信長ならあと10年..)、おそ松さんはともかく、自分の老後に目を向けて、引き続きやっていきたい。

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